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負の世界遺産。。アウシュビッツ収容所。。

2013.02.07 07:46|ポーランド
どーも。


最近引きこもり説が囁かれてるKUROです。


噂の真相は…


はい、完全に引きこもりでございます!



だって日本、寒いんだもんっ!



ってゆーと社会人のみんなから怒られそうなので、旅の情報収集をしてるってことにしとこうかなー♪









-------------------------★
では今日は、まじめなお話を。




ポーランドに着た1番の理由…それは負の世界遺産であるアウシュビッツ強制収容所へ行く為。







アウシュビッツ収容所は、第二次世界大戦中にポーランドのオシフィエンチム市郊外にドイツによって設立され、地名もドイツ語のアウシュビッツに変更された。
アウシュビッツ収容所は全部で3カ所。アウシュビッツ第一強制収容所・アウシュビッツ第二強制収容所のビルケナウ・アウシュビッツ第三強制収容所のモノビッツからなる。
当初は刑務所として建設されたが、徐々に最大のユダヤ人絶滅センターとなっていった。ここには、ナチス・ドイツにとって”不必要”とされた反ナチス政権の人々、刑事犯、スラブ人、ジプシー、そしてユダヤ人が様々な国や地域から連れてこられて収容、虐殺された。

そしてこのような悲劇が二度と起こらないようにとの願いが込められて、1979年に負の世界遺産として認定された。









学校の授業でアウシュビッツについて勉強した時、歴史に興味がない私だけど、これは本当に衝撃だった。












本当に同じ人間がしたことなのか信じられなかった。












でもやっぱり本や映像で見るだけじゃどこか次元の違う話の様に感じてた。












だからいつかは実際に訪れたいって思ってた。



















さて、クラクフの街からオシフィエンチムへ向かいます。


オシフィエンチムへの行き方は2通り。


鉄道かバスか。




鉄道

クラクフ駅(KRAKOW GLOWNY)からOSWIECIM方面行きで所要約1時間50分。

OSWIECIM駅に着いたら、大通りを右へ進み、ロータリーの交差点を左に曲がる。そのまま真っすぐ進むと左手にある。
徒歩約20分。



バス

クラクフ駅東にあるバスターミナルからOSWIECIM行き、OSWIECIM MUZEUM行きのバスが運行。
バスはミュージアム内に着く。
所要約1時間40分。
片道13zl≒400円。
チケットの購入は、出発の15分前まではチケット売り場で、それ以降は運転手から。

バスの時刻表(2012年10月現在)↓

s-DSC_0099_20130206235446.jpg








さ、朝一8:25発のバスに乗ってオシフィエンチムへ。



なぜこんな早いバスに乗ったかとゆーと、


ガイドツアーを予約してたから。





ミュージアムには日本人ガイドの中谷剛さんがいて、希望すれば個人でも申し込む事ができるんです。


ちなみにアウシュビッツの入場料は無料。

ただし15時までガイド無しでは入れない時期があります。


ガイドツアーの値段は、当日参加人数で割り勘という形。

私の場合は参加人数11人で40zl≒1200円。

※申し込みは直接中谷さんにメールで(nakatani@wp.pl)










それでは中谷さんのガイドで施設の中へ。

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中に入るとすぐに二重の有刺鉄線に囲まれた建物が姿を現わします。

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有名な門↓

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ARBET MACHT FREI

…働けば自由になる。。。



文字の一つ、が逆さまになっているのは、これを作らされた人のささやかな抵抗らしい。








中に入ってみると、外から見る風景とは全然違って見えた。

s-DSC_0115.jpg

有刺鉄線の壁が内側に向かっていて、なんとなく外から見るよりはるかに高く感じた。




それからたくさんある見張り台。

s-DSC_0121_20130206235619.jpg

常に監視され、出られるのかもわからない状態。


想像もできないくらいの恐怖を感じてたんじゃないかなと思う…









ここに連行されたのは少なくても130万人。

ユダヤ人    110万人
ポーランド人  14万人
ジプシー     23000人 
ソ連軍の捕虜 15000人
その他       25000人
(教育囚人、刑事犯、エホバの証人、同性愛者等)






これが囚人棟

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ただし、全ての人がこの囚人棟に入れられたわけではなく…


列車で連行された人々は

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私物を全て没収され…

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まずこの場所で選別される。

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選別とは…

労働者人体実験用の人それらに適さない人



この時点で老人・妊婦・子供・病人には生きる権利がなかった。

(彼らは囚人として登録もされずにガス室で毒殺された為、連行された人数は130万人よりもはるかに多いと言われている。)




シャワーを浴びると言われガス室に詰め込まれる。

s-DSC_0241.jpg
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シャワーが出るはずの天井には数か所穴が開いてて

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このチクロンBという殺虫剤が投げ込まれた。

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遺体からは指環や金歯、義足、

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髪の毛も取られた。


髪の毛は布にしていたという。





遺体は隣にある焼却炉か

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野積みで焼かれた。

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この遺体を焼くのも囚人にさせていたらしい。








また、選別で命が助かった人たちにも過酷な環境が待っていました。

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収容者は髪の毛を剃られ、

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管理番号のタトゥーを入れられ

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登録されます。

s-DSC_0202_20130207000032.jpg



囚人服にはユダヤ人・政治犯・刑事犯・同性愛者等を区別するバッジが付けられ、被収容者の中でも上下層を作っていました。



食事もその階層によって差別されていました。




労働は穴を掘らせてただ埋めさせるといった生産性のない作業や施設管理、道路舗装、遺体処理など。

ベンツやフォルクスワーゲン等ドイツの会社では囚人が働かされてたそうです。


また、カポと呼ばれる監視役が選ばれ、懲罰を科していました。



住環境はとても悪く

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3段ベッド?には1段に5人が詰め込まれ



第二収容所では

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一人が寝ても狭いくらいのベッドに2人ずつ寝かされた。

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暖房設備はあったものの薪等の燃料はなかなか支給されなかったという。

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第一収容所のトイレ

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第二収容所に至っては

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穴が並んでるだけ…


被収容者たちは決められた時間に一斉に用を足すことを強要された。








しかし、監視役のカポは優遇され、個室があてがわれていた。

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こういった被収容者の中でも差別を図ることで、まとまって反乱を起こす組織を作らせないようにしていたといいます。



このような過酷な環境の為、脱走しようとする者もいたそうです。


しかしこの脱走があると、見せしめの為に無差別に人が選ばれ、懲罰が与えられました。





“死の壁”は、逃亡者などへの銃殺刑が執行された場所だそうです。

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こんな残酷なことを同じ人間がやっていたなんて本当に信じられない…


なんでこんなことができたんだろう…






ガイドの中谷さんが言ってました。




ドイツ側に罪悪感はなかった。



なぜか…それは被収容者の人間としての尊厳を奪う(食事・トイレ・寝床など)ことによって、ドイツ人たちも彼らを人間以下の存在として見るようになってしまったから。


監視役のカポも同じ。




たとえおかしいと思ったとしても異論を唱えたら自分の命が危ないから殺せと言われたら殺すしかない。





確かに。。



確かに。。



確かに。。


もし自分がこの時のドイツ人の立場だったら同じような事をしてたのかもしれない…と思って怖くなった。







でもここに来れて本当によかったと思う。



やっぱり教科書で見る歴史と実際に見て感じる歴史は全く違うから。







負の世界遺産。


悲劇の遺産がこれ以上増えませんように…

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最後に


ミュージアムからクラクフまでのバスね↓



14:10 / 15:05 / 16:20 / 17:10 / 17:25 / 18:20



でもこのバス時間通りに来なくて…2時間近く待ってた。。笑





いつも旅ノートを読んでいただきありがとうございます♡



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